70TH ANNIVERSARY

70周年 思い出交換会

思い出を持ち寄り、70年を祝う。

赤茶色の待合室と、その手前に咲く花々

瑞穂駅の風景 / 撮影:TAKA86

2026.09.01

瑞穂駅70周年記念
思い出交換会

地元多寄から、遠くの町から。
瑞穂駅を思う人々が集まりました。

記憶を持ち寄った、70周年の夜

2026年9月1日、瑞穂駅の開業70周年を記念して、地域の方々や駅に思いを寄せる人たちが集まりました。

通学で利用した日々、駅が整備されていった頃のこと、花壇を守ってきた人々のこと。参加者それぞれの記憶を持ち寄り、瑞穂駅が地域とともに歩んできた時間を語り合いました。

ここで紹介する内容は、思い出交換会で地域の方々から寄せられた記憶や、聞き伝えられてきたお話をまとめたものです。確認できていない情報も含まれるため、瑞穂駅の公式な沿革として断定するものではありません。

瑞穂駅の待合室に飾られた70周年記念の手書き看板と祝いの花
待合室に飾られた、70周年を祝う看板と花

通学を支えた、小さな駅

瑞穂駅ができる前は、列車に乗るために多寄駅まで長い道のりを歩いていたというお話がありました。特に冬の通学は大変で、瑞穂駅ができたことで大きく助けられたそうです。

高校へ通うために何年も利用した人、親子や孫の世代まで利用した人もいました。毎日の通学では何げなく乗り降りしていた駅が、年月を経て、かけがえのないふるさとの風景になっていたことが語られました。

地域の手で整えられたという記憶

開業当初の瑞穂駅は、駅舎のない小さなホームから始まったと伝えられています。

交換会では、ホームの材料は国鉄から提供され、地域の人たちが作業に参加したというお話がありました。「地域の人たちが二日間ほど出役して造った」との記憶も紹介されています。

その後、雨や風をしのぐ待合所や自転車置場についても、地域からの要望や協力によって整えられていったのではないか、という話が出ました。詳しい経緯については、今後も資料や証言を探していきます。

「瑞穂」という名前をめぐって

駅名の由来については、現在もはっきりした資料が見つかっていません。

交換会では、周囲に田園が広がっていたことから、豊かに実る稲穂を表す「瑞穂」の名が選ばれたのではないか、という聞き伝えが紹介されました。

ほかにもいくつかの説や記憶が語られましたが、確かな由来は分かっていません。駅の名前にまつわる資料やお話について、これからも情報を集めていきます。

花壇に込められた、地域の思い

瑞穂駅を訪れた人の多くが心を留める、ホームそばの花壇。

地域の方々が種から苗を育て、花を植え、水やりや草取りを続けてきたことが語られました。活動が途切れた時期もありましたが、駅への思いをつなぐように、花壇は大切に守られてきたそうです。

列車の窓から花壇を眺めていた人、初めて駅を訪れて美しさに驚いた人。花壇は、地域の人の手仕事と心遣いを伝える、瑞穂駅の大切な風景になっています。

瑞穂駅70周年を祝う花束と宗谷本線の駅を描いた作品
瑞穂駅へ寄せられた祝いの花と、駅を描いた作品

地域の駅から、旅人の記憶へ

瑞穂駅を訪れたきっかけも、人によってさまざまでした。

鉄道旅行や写真撮影で訪れた人、作品づくりの中で瑞穂駅を知った人、自転車の旅の出発点として駅を利用した人。遠方から訪れた人の目にも、田園と山並みに囲まれた瑞穂駅は、心に残る風景として映っていました。

駅を中心に生まれた偶然の出会いも、この日の新しい思い出となりました。

瑞穂駅70周年記念思い出交換会と書かれた手作りの看板
思い出交換会のために用意された手作りの看板

断片的な記憶を、未来へ

一人ひとりの記憶は、必ずしも完全なものではありません。それでも、異なる記憶を持ち寄ることで、写真や年表だけでは分からない瑞穂駅の姿が少しずつ見えてきます。

通学した朝、待合室で過ごした時間、列車を撮影した日、花壇を手入れする人の姿。そうした小さな記憶も、瑞穂駅が地域とともに歩んだ歴史の一部です。

これからも写真、切符、映像、歌、そして皆さまの言葉を集めながら、瑞穂駅の記憶を未来へ残していきます。

※この記事は、2026年9月1日の「瑞穂駅70周年記念 思い出交換会」で地域の方々から語られた記憶や聞き伝えをもとに構成しています。内容には未確認の情報も含まれており、公式な沿革を示すものではありません。

駅を思う言葉が、
またひとつ、つながっていく。
あなたの思い出を残す